Izzyのインターンシップ経験

2025年07月18日
国際関係学と国際組織を専攻する学部4年生として、私はこれまでに様々な講義を通じて難民や移民について学んできましたが、それはあくまで理論的なものでした。学士課程を通して難民問題には特に関心を持っていたものの、理論的な学びは役立つ一方で、現実の複雑さを反映しておらず、絶えず変化し続ける難民問題を教室の中だけにとどめるべきではないと感じていました。
オランダで学士課程を修了する中で、学んだ内容の多くが西洋中心的な視点から教えられていることにも気づきました。たとえ意図的でなくとも、難民が「無力な存在」として描かれがちであり、また難民問題そのものも「政策」と「人々」の間で解決されるべき地政学的課題として捉えられていたように思います。こうした無意識のヒエラルキーとは異なり、REIでは難民自身がプロジェクトの最前線に立ち、企画・運営を担っています。
このインターンシップを通じて、難民の代弁をすることではなく、彼らの声に耳を傾け、自ら語り、リードできるような空間をつくることが支援につながるということを実感しました。
私は難民問題に対して、教科書のように一括りにされるのではなく、もっと実践的で多面的な視点から向き合いたいと思うようになりました。REIでのインターンを通して、NPOの実務的な側面だけでなく、プロジェクトが支援する難民一人ひとりのユニークで個人的な物語にも触れることができ、以前よりも難民問題を身近に感じられるようになりました。REIが難民自身をプロジェクトの主役とし、地域コミュニティとの協働や対話を大切にしながら持続可能な形で支援を行っている姿勢に感銘を受けました。
さらに、このインターンシップが東京を拠点として行われたことも、大きな学びの一つでした。日本を訪れるのは初めてで、プロジェクト自体は日本国内で行われていないものの、日本における難民の議論や政策について知ることができました。観光客や日本国外の人にとってはなかなか触れる機会のない内容だと思います。
日本は難民受け入れに関して国際的な見出しを飾ることは少ないものの、ここで生活する人々から聞いた話では、書類上の手続きや政策の隙間、そして社会的な沈黙によって、難民に対する排除的な姿勢が存在していると感じました。特に印象的だったのは、日本語の「難民」という言葉です。この言葉は「困難な人々」という意味ですが、本来「困難な状況にある人々」を表す意図で使われているかもしれない一方で、文字通りに受け取ると難民自身が「困難な存在」であるかのような印象を与えかねません。このような用語の使い方にも、より繊細で熟慮されたアプローチが必要だと感じました。
今回のインターンシップを通じて、私は難民問題に対するより広い視野を得ることができました。そしてこの経験を糧に、今後アムステルダム大学で公共政策とガバナンスの修士課程に進学し、次のステップへと進んでいきたいと思っています。