REIチームの紹介:イスマイル奈奈恵

Published
2021年08月24日

昭和40年生まれなので、人に生年月日を聞かれたときによく「東京オリンピックの翌年の生まれ です。」と説明していた。

年齢を話題にして双方に気兼ねがなかった20代の初めころ、見習いバーテンダーとして働くカウンター越しに年配の客に歳を尋ねられ、昭和40年生まれと答えのけぞられたこともいまは昔。 

やがて一緒の職場に平成生まれの同僚が現れ、自分がのけぞる番になったが、今度は令和という年号を迎えいよいよ自分も東京オリンピックを体験できるのかと思ったらコロナウィルスの大流行でそれも怪しくなってきた。

2016年、アメリカの大統領選挙のようすをずっとニュースで追っていた私は、その結果に愕然とした。 

これは自分も何かしなくてはいけないという思いに駆られ、娘の学校がチャリティー団体のひとつとして支援していたREIの事務所へ突然電話をかけてみた。

 電話口でボランティア希望を申し出ると、まもなく開催のボランティアミーティングへの参加を促された。 

そこで何か各自の得意分野での貢献をという話を聞き、不定期開催していた自分の個人的ライブ活動をREIへの支援チャリティーコンサートの形で行うことで活動に初参加。

やがて事務局の欠員によるスタッフ募集のメールを見たので早速応募してみた。

バーテンダーが前職でまた全職歴であることにやや気遅れはあったが、英語の履歴書を持って私にとって初の業界への面接へ挑戦。

オフィス勤務経験はゼロながら、学ぶ気持はあります、カウンター越しに長く世間を垣間見てきた経験も生かせるはずと売り込んだ。

もし日本の団体への事務職面接だったらとってもらえなかった気がする。 当時娘の成長に伴い時間ができ、それまでいろいろとパートを探していたのだが、年齢と経験の制限でことごとく採用を断られていたので。

小回り判断のきく小型の団体であり、エキセントリシティーに割と寛容な英国人のJaneが面接官のひとりであったことも採用可の理由のひとつかと思う。

もうひとりの応募者でプログラムコーディネーターの職務となった土屋なおみさんとともに、私 はイベントコーディネーターということでパート勤務の採用になった。

初勤務の日は晴れ晴れしい気持ちでお台場の見晴らしの良いオフィスに出勤したものの、実は初日には備え付けのパソコンのスイッチを入れる方法すらわからなかった。

 パソコンのスイッチはどこにありますかとは恥ずかしくて聞けず、なんとか自力で解決したものの、その後も冷や汗をかきながら、代々のREIインターンの優秀な学生の皆さん達にお世話になりつつ 学習の日々で今日まで来たので、自分のオフィス勤務能力のゼロからの成長ぶりには感無量です。

そんな私は、REI勤務を通じて親しんだ支援先団体の資料を読み込むにつけ、たとえばカレンニ上級学習プログラムセンター(KNSDC)の講習を受けた人たちが、講義を通じて目を開いていくさまには大いに共感できるところがある。

若い受講者の中にはコメントで、それまで自分が選挙権という市民の権利を持っていることを知 らなかったという人がいる、あるいは伝統的な女性の役割分担の文化から自分が解き放たれてゆくようすについて語っている人もあった。 

戦後20年生まれ、かつて新人類と呼ばれた昭和40年前後に生まれた私たちの世代は、世界共通の苦難を知らない、しらけた、世事に無関心な世代と評されることがあったけれど、今はじめて、 世界の全ての世代の人たちと一緒になって、共通の危機に対峙しながら共に生きるという経験を している。

またそのすべての人たちの中には、こういった環境を生きることに熟練していると言える避難民の人たちも含まれている。

大変不可思議な、自分が大きな全体の一部となった実感を覚えているのは私だけではないと思 う。

私たちは、生物としての存在危機を実感しながら、事実をあらがわずに受け入れ、再生と変革への実用的な方法を選び取り生き延びていけるだろうか。