REI@フジロック・フェスティバル ジェイミーの振り返り

Published
2026年09月08日

フジロックのゲートが開いた瞬間、会場には誰の目にも明らかなほどのエネルギーがあふれていました。音楽、山々、キャンプ、そしてフジロックをここまで特別な体験にしているすべてを楽しみに、人々が続々と集まってきます。けれど会場の中には、もうひとつ別の熱気もありました。それは、社会課題やプロジェクト、コミュニティに情熱を注ぐ人たちのエネルギーです。

今年、私はチームメイトとともに、NGOヴィレッジ内にあるRefugee Empowerment International(REI)のブース運営に携わる機会をいただきました。3日間、フェスティバルに訪れる方々に避難民問題を知ってもらい、REIの活動に触れてもらい、さまざまなアクティビティを体験してもらいながら、自分とは大きく異なる人生を歩んできた人たちの経験について、少しでも理解を深めて帰ってもらえたらという思いで臨みました。

フジロックで特に楽しかったのは、会話がごく些細なきっかけから生まれていくことでした。

ブースでは、来場者の方々に「希望のメッセージウォール」へ応援や連帯のメッセージを書いていただきました。週末が終わる頃には、壁はほとんど余白がないほど埋め尽くされていました。手ぬぐいの絞り染め体験に参加する方もいれば、カレン族の避難民が手作りしたバッグに見入る方もいる。こうしたアクティビティは、ブースに足を止めてもらうための気軽なきっかけにすぎませんでしたが、そこからしばしば、もっと大切なもの、つまり、「会話」が始まっていきました。

それこそが、この週末で私が最もやりがいを感じた瞬間でした。

ある来場者との会話が今も心に残っています。その方は、避難民とはどのような人たちなのか、故郷を追われるとはどういうことなのか、あまりよくご存じない様子でした。私たちは言葉の定義を説明する代わりに、その問題の向こうにいる「人」について話しました。REIの母子保健プログラムのこと、そこで支えられている女性や家族のことを伝えていく中で、何かがふっとつながる瞬間がありました。

それまで縁遠かった概念が、人の顔が見える、実感の持てるものへと変わっていったのです。

その瞬間、REIのような団体の存在意義を改めて実感しました。避難民問題は、統計や見出し、政治的な議論を通して触れると、どこか遠く、理解しがたいものに感じられることがあります。けれど、誰かの実際の経験に耳を傾ける機会を得たとき、そうした距離は少しずつ縮まっていくのだと思います。

もちろん、初めて避難民問題に触れる方に説明するのは簡単なことではありません。複雑な背景があり、置かれている状況もさまざまで、誤解も少なくありません。それでもフジロックは、そうした会話を交わすのに驚くほど心地よい場を与えてくれました。フェスティバルに集う人の多くは、もともと社会課題に関心を持ち、世界との関わり方を探している人たちです。だからこそ、REIの活動や、貢献したいと思う人に開かれている機会を紹介することが、私たちにとって大きなやりがいになりました。

そして時には、フェスティバルそのものが、そうした機会を作り出してくれることもありました。

ある時、会場に雨が降り込みました。

私たちはそれを単なる不運と捉えるのではなく、むしろ味方につける方法を見つけました。雨宿りのために人々がブースへと集まってきたことで、賑やかなフェスティバルの中ではなかなか得がたい「時間」を私たちは手にすることができたのです。通りすがりの一言では終わらない、腰を据えた会話。質問に答え、REIについてじっくり語り合う時間。雨がすべての動きを少しの間ゆっくりにしてくれたおかげで、人と人とがつながる余白が生まれました。

週末を通じて、約70名が有料のアクティビティに参加してくださり、さらに数百名の方々がブースをのぞき、質問をし、あるいはただ立ち止まって話をしてくださいました。

フジロックには、世代も背景も国籍も異なる人々が、ひとつの場所に集っていました。

REIのブースでは、日常生活ではまず出会うことのなかったであろう方々と出会うことができました。避難民問題に詳しい方もいれば、ほとんど知らない方もいる。NGOや社会課題への関心から訪れてくれた方もいれば、絞り染め体験に惹かれただけの方、あるいは単に雨宿りの場所を探していた方もいました。

けれど、いざ話し始めてみると、そうした違いはたいてい、思っていたよりずっと小さなものに感じられました。

この経験は、私たちを取り巻く政治的・社会的な空気がどれほど緊張し、分断されているように見えても、それでも良いことをしたいと願う人がたくさんいるのだということを、改めて教えてくれました。自分とはまったく異なる状況に置かれた誰かに対して、耳を傾け、学び、思いやりを向けようとする人たちがいる。私たちに必要なのは、ときにただ「つながる機会」だけなのかもしれません。

それこそが、フジロックのNGOヴィレッジをこれほど意味あるものにしていた理由だと思います。

そこは、人々が日常のルーティンから少しだけ抜け出し、普段なら交わすことのない会話をかわせる場所でした。

避難民について何も知らずにブースを訪れた人が、母子保健ケアを受ける一人の女性の物語を知って帰っていく。

手ぬぐいを作りに来ただけの人が、REIの活動の意味を新たに理解して帰っていく。

ただ雨宿りに立ち寄っただけの人が、気づけば、ある問題への向き合い方が変わるような会話をしていた。

私たちは、自分が思っている以上に、互いに通じ合うものを持っているのかもしれません。フジロックでのこの週末は、壁を取り払うために大きな行動は必ずしも必要ではないのだと、私に改めて教えてくれました。それは時に、壁に書かれたひとつのメッセージから、雨が止むのを待つ間の会話から、あるいは本来出会うはずのなかった二人が交わすひとつの物語から始まるのです。

これが、私がフジロックから持ち帰るものです。人がつながり、耳を傾け合い、互いを理解し合うための機会をつくることの大切さ — それを、私はこれからも忘れずにいたいと思います。